来客を数える音に秋惜しむ

散文
スポンサーリンク

玄関の向こうで、訪れる客の足音が一つ、また一つと響く。その音に、秋の終わりがしみじみと重なって聞こえるのはなぜだろう。立ち代わり訪れる人々が、部屋の空気に穏やかなざわめきを持ち込むたびに、心の中では何かがしずかに過ぎ去っていく感覚が広がる。秋の日々がもたらす独りの静けさや、ひそやかな余韻が、その足音に追いやられていくような気がしてならない。

秋も深まる頃になると、来客の気配さえどこか名残惜しく、訪れた者もまた秋の風景の一部となるようだ。ひとたび部屋に入ると、紅葉の色を映した頬や、秋の匂いを纏ったコートがどこかしら物悲しい。皆が座ると、少し肌寒さを感じながらも、互いに差し出す温かい茶の湯気が空間をやさしく包み込み、言葉少なに季節を惜しむような空気が漂う。

玄関の音が静まると、部屋に残された沈黙が一層深まる。ひとり去っていくごとに訪れる空虚さが、秋そのものの終わりを告げるようだ。人の気配が消え、ふたたび静まり返った部屋の中で、先ほどまでの賑わいがまるで幻だったかのように思えてくる。その静けさの中に、秋が過ぎ去ろうとする足音が、かすかに、けれど確かに響いているように感じる。

窓辺から見えるわずかな夕日が、あたりを薄紅に染めるころ、もう誰も訪れることのない秋の終わりが静かに満ちてくる。秋を惜しむ気持ちが、今やどこにもない空間をわずかに占め、やがて次の季節へと送り出される準備が整うのを、ただ見守るしかないのだと知る。

コメント

タイトルとURLをコピーしました