薬にも毒にもならぬ秋思かな

散文
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秋が深まるとともに、心の中に静かな思いが広がっていく。それは薬にも毒にもならぬ、ただそこにあるだけの思い。明確な形を持たず、言葉にすることも難しいが、その存在感だけははっきりとしている。秋の澄んだ空気の中で、ふと立ち止まった瞬間に、心の奥底からそっと浮かび上がってくるような、そんな感覚だ。

その思いは、癒しでもなく、苦しみでもなく、ただ流れていく時間と共に寄り添う。日常の喧騒から一歩離れ、静かな秋の夕暮れに包まれると、そうした思いがふと胸を満たすことがある。心地よくもなく、また苦痛でもないその感覚は、まるで中間地点にいるかのようだ。何か大きな決断を下すわけでもなく、ただその瞬間に存在することを許されている。

薬にも毒にもならないということは、何の解決ももたらさず、何の傷も与えないということだ。それはある意味で穏やかなことだが、同時に物足りなさも感じさせる。人はしばしば、変化や結果を求めて生きるが、こうした「秋思」は、そのどちらにも与しない。変化をもたらすものではなく、ただそこにあることで心を満たすもの。だからこそ、その曖昧さの中にこそ、深い意味が隠されているのかもしれない。

木々の葉がひらひらと舞い落ち、秋の風が冷たくなっていく。季節の移ろいを見つめながら、その思いもまた風に運ばれていく。どこかで形になることもなく、ただ消えていくその思いは、薬にも毒にもならぬからこそ、安らぎの中にある。それは一種の無常感であり、変わりゆくものを受け入れる静かな力を、そっと与えてくれる。

この秋思が、何の結果も残さぬからこそ、人の心には優しく触れ、秋の終わりと共に淡く消えていく。その儚さにこそ、秋の深みがあるのだろう。

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