妻の祖母の日記

エッセイ
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妻が祖母の日記帳を見つけたのは、実家の押し入れを片付けている最中だったらしい。段ボールの角が少し潰れていて、畳の上に置くと、ふわっと古い紙の匂いが立ち上る。赤ちゃんが生まれる少し前で、産休育休の合間に、誰も住まなくなった家を少しずつ整理していた頃のことだ。

妻のお母さんもお父さんも、すでに亡くなっており、実家には私たち家族以外にもう人の気配がなかった。昼間でも家の中は静かで、時計の秒針の音がやけに響く。そんな中で見つかったのが、祖母の日記帳だった。

私もあとで見せてもらった。もっとこう、心情が綴られているものを想像していたのだけれど、中身はだいぶ違った。そこにあったのは文章というより、記録だった。
「弁当 ○円」
「酒 二升 ○円」
「菓子折り ○円」
そんな具合に、家を建てている間に大工さんに差し入れたものと、その金額が几帳面な字で並んでいた。

これ、あとで請求する予定だったのかな、と一瞬思った。経費精算でもするのか、と。でもそんなわけもない。誰に見せるでもなく、ただ黙々と書き留められている。目的はよくわからない。でも、わからないからといって、不思議すぎるわけでもない。

たぶん、書きたかったのだろう。何をあげたか、いくら使ったか、その事実を、自分の中にきちんと残しておきたかった。私も日記を書いているがそれを何のために書いているのかと聞かれたら、「書きたいから」としか答えられない。それと同じだろう。

あるいは、「これは貸しだぞ」という気持ちを、自分に刻み込むためだったのかもしれない。忘れないための印。実際、妻のお母さんも、似たようなことをしていたらしい。人に渡したものや金額を、メモ帳や封筒に細かく残していたという。

妻自身はそういうことをしていない……と私は思っているが、もしかしたら私が知らないだけかもしれない。人に何かをあげた記録というのは、表に出てこないだけで、家のどこかでずっと受け継がれている習慣なのかもしれない。

日記帳を閉じたとき、そこには感情の言葉は何も残っていなかったけれど、「覚えておく」という強い意志だけが、紙の奥にしっかり残っていた気がした。これはもう、忘れられない人のやり方だったんだな、と思った。

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