ダイニングテーブルがあり、高さが生まれた

エッセイ
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床で就寝。
この一文だけで、その頃の部屋の匂いとか、明かりの感じとかが、わりと鮮明に蘇ってくる。

あの頃、私は床で寝ていた。私の人生にはなぜか「床で寝る時期」と「ソファで寝る時期」があって、2023年頃は間違いなく床の時代だった。さすがに直に床ではなく、マットは敷いていたはずだ。はず、というのは、もう記憶が少し曖昧だからだ。敷いていたと思う。多分。

部屋の奥、壁際に寄せたマット。昼間はそこが生活圏から半分切り離されていて、夜になると、そこが一気に寝室になる。照明を落とすと、天井がやけに低く感じられて、横になると視界に入るのは壁とカーテンと、少し剥がれかけた巾木くらいだった。

その頃は、まだダイニングテーブルがなかった。
今から考えると、じゃあ飯はどこで食ってたんだ、という話になるのだけど、それがすぐには思い出せない。思い出せないくらい自然にやっていた、ということなんだと思う。
しばらく考えて、思い出す。ちっちゃいちゃぶ台だった。

大学の頃に卒業する先輩からもらって使っていた、あのちゃぶ台。
丸くて、低くて、脚を折りたためるやつ。直径は……1メートルもなかった気がする。80センチくらいだろうか。とにかく、家族3人で囲むと、ちょっと肘がぶつかる。
そのちゃぶ台を出して、妻と私と、当時まだ下の子が生まれていなかったから、上の子と3人で、ご飯を食べていた。

床に座ると、自然と目線が下がる。
茶碗を持つ手と、皿までの距離がやけに近くて、味噌汁の湯気が顔に当たる。子どもはまだ小さく、私や妻が食べさせる。ちゃぶ台の縁に、おかずの汁が垂れて、それをティッシュで拭く。
そういう光景が、何度も繰り返されていた。

やがて、下の子が生まれる。
さすがに4人でそのちゃぶ台は厳しい。物理的にも、心理的にも狭い。器が増えると、もう置く場所がない。
そこで、ダイニングテーブルを導入することになった。

今はソファダイニングだ。
アイランドソファを買って、その一角で、私は今もよく寝ている。結局、床からソファに場所が変わっただけで、「そこで寝る」という行為自体はあまり変わっていないのかもしれない。

でも、部屋の印象はまるで違う。
不思議なことに、ダイニングテーブルを置いた今のほうが、部屋は広く感じる。実際には、床で寝ていた頃のほうが、床面積は空いていたはずなのに。

あの頃の部屋には、「高さ」という概念がほとんどなかった。
ちゃぶ台は低く、マットも低く、生活はすべて床から50センチ以内で完結していた。棚はあったけれど、あれは壁に貼り付いているもの、という感覚で、空間を区切る存在ではなかった。

ダイニングテーブルを置いたことで、部屋に初めて「縦」の概念が生まれた。
視線が上がり、空気が溜まる場所ができ、空間としての部屋が立ち上がった感じがした。
家具一つで、こんなにも感覚が変わるのかと、後から気づく。

ダイニングテーブル導入のきっかけは、兄の家だった。
決して広い家ではなかったけれど、ダイニングテーブルが部屋の中心にあって、不思議と狭さを感じなかった。
帰り道、私は妻に言った。
「今日思ったんだけどさ、ダイニングテーブル置いてても、意外といいね」

妻は少し笑って、
「あなたがやっとその気になってくれた」
と言った。どうやら、ずっと思っていたらしい。

そうして選んだテーブルは、展示品で現品限り、少し傷はあるけど、いいやつだった。
割引も効いて、なんだか得した気分になったのを覚えている。

床で寝ていた時代から、テーブルのある生活へ。
振り返ると、あれは家具を買った話というより、生活に高さを取り戻した話だったのだと思う。

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