追いつかれつつ追いつきつつ冬至かな

散文
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冬至の夜、長い影が静かに地面に伸びている。日が最も短いこの時季、光は一瞬で消え、夜の支配が続くように思える。けれども、その闇の中には、どこか隠れた力が息づいているようでもある。追いつかれ、追いつきながら歩む人々の姿は、冬至という節目の中で、まるで時間の中を漂う存在そのもののようだ。

振り返れば、後ろから何かが迫ってくる気配がする。年の瀬の忙しさか、それとも過去の記憶か。その気配に押されるように足を進めるが、前方にはまた追いかけるべきものが見えてくる。未来への期待や、越えるべき壁。それらはつかめそうでいて、常に少し先にいる。追いつかれる恐れと、追いつこうとする焦り。その二つが交錯する中で、冬至の冷たい空気が静かに包み込む。

冬至は、夜が最も長いだけでなく、やがて昼の光が増え始める始まりでもある。追いつかれるという感覚も、追いかけるという行為も、すべてがこの一瞬のために存在しているのかもしれない。光と闇がせめぎ合い、やがてバランスを取り戻す瞬間に、人々はまた新たな歩みを始める。冬至はその狭間に立つ時間だ。追いつくこと、追いつかれること、そのどちらもが不可欠なものとして、静かにその場に佇む。

長い夜が深まり、寒さが一層強まる中、心の中で何かが変化していくのを感じる。追いつかれ、追いつくその繰り返しが、ただの焦燥ではなく、ひとつのリズムとして受け入れられる瞬間。それは冬至の特別な時間が与える、小さな悟りのようでもある。人は光と闇の間を漂いながら、そのどちらにも属さずに生きる存在だと。

冬至の夜、長い影の中で感じるのは、追いつくこと、追いつかれること、それ自体が一つの生命の形であるということ。光が再び満ち始める日々を前に、その流れの中で静かに身を委ねる。それが、この冬至という夜に訪れる静かな祝福なのだろう。

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