濡れた街路の風が冷たく頬を撫でる朝、駅前のベンチに腰を下ろし、一つのタマゴサンドを開ける。柔らかなパンの中に閉じ込められた卵の黄色が、曇り空の下でどこか小さな太陽のように見える。口に運ぶと、ほのかな甘さと塩気が混ざり合い、その瞬間だけ日常の騒がしさが薄れる気がする。
人々は忙しげに行き交い、それぞれがこの勤労感謝の日にも自らの役割を果たしているようだ。誰もが何かのために働き、誰かのために動く。日常の中で当たり前になりすぎているその姿に、不意に胸が熱くなる瞬間がある。手に持ったサンドイッチの軽さに、自分の背負うものの重さと、それが誰かに繋がっている事実を思い知る。
少し離れたところでは、子どもが母親と手を繋ぎながら歩いている。大人が守るべきもの、育むべきものを目の前にすると、世界は複雑でありながらシンプルだと感じる。労働の意味は大きな理屈ではなく、こうした小さな日常にこそ宿るのだろう。パンを頬張るたび、その柔らかさの奥に込められた誰かの手のぬくもりが伝わる。
やがて、空が少し明るくなり始める。曇天の隙間から微かに覗く光は、この日を生きる全ての人々への感謝そのもののようだ。一つのサンドイッチが育む時間の静けさに、世界の忙しさの中で一瞬の感謝を見つける。そして自分もまた、その忙しさの歯車の一部として動いていることに、少しの誇りを覚える。
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