まだ子供が小さい頃、生協の宅配を利用していた。
生協の宅配が来る。
インターホンが鳴って、ドアを開けると、発泡スチロールの箱がきちんと角をそろえて置かれている。保冷剤がまだひんやりしていて、午前中の空気を閉じ込めたままの感じがする。箱の側面には、見慣れたロゴ。ああ、今週もちゃんと生活しているな、という気分になる。
生協は、子どもがいると本当に助かる。離乳食がある。これは大きい。自分で一から作ろうとすると、にんじんを茹でて裏ごしして、みたいな工程が発生するが、生協はそれを「はい、どうぞ」という顔で差し出してくる。牛乳やヨーグルトも重い。あれは筋トレ器具だと思って買い物かごに入れている節があるので、玄関まで運んでくれるのは非常にありがたい。
ただ、子どもが成長してくると、また話が変わってくる。スーパーで自分で選ぶ楽しさ、棚の前で立ち止まって悩む時間、そういうものが戻ってくる。そうなると、生協は「そろそろ卒業かな」という存在にもなってくる。
生協の一番の特徴は、今日の気分ではなく、来週の気分で食べ物を選ばなければならないところだ。これがなかなか難しい。注文するときは、「来週の私はこれを食べたいはずだ」と未来の自分に期待している。しかし届いた日には、「今日はそういうテンションじゃないんだよな」と、現在の自分が首をかしげる。
冷蔵庫を開けると、生協で頼んだおかずが、静かにこちらを見ている。賞味期限はまだ余裕があるのに、気分だけが追いついていない。計画的な食生活と、行き当たりばったりな食欲の、ちょうど真ん中で立ち尽くす感じだ。もっと上手な使い方があったのかもしれない。
宅配食品といえば、以前はオイシックスも使っていた。ミールキットというやつで、レシピと人数分の材料が、すでに切られた状態で届く。フライパンに入れて、炒めたり煮たりすれば完成。理屈の上では、かなり理想的だ。
注文するときは、だいたい気分がいい。「これ美味しそうだな」「今日はちゃんと料理するぞ」と思っている。写真もきれいだし、名前もおしゃれだ。しかし、実際に届いて、袋を開けて、レシピを立てかけたあたりで、急に面倒くさくなる。炒めるだけなのに、なぜか腰が重い。フライパンを出すという行為のハードルは、思っているより高い。
結局、「今日はいいや」となって、冷蔵庫に戻す。そういう日が重なって、やめてしまった。
生協の箱を片づけながら思う。宅配食品は、生活を助けてくれるけれど、やる気までは配達してくれない。便利さと気分は、別のトラックで走っているらしい。冷蔵庫の中で、来週の私が選んだ食べ物たちが、静かに順番を待っていた。

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