剪定ばさみの音が、春の空気に短く響く。枯れた枝を落としながら、ふと背後に通り過ぎる足音に耳を澄ませる。剪定する手は止まらないが、そのわずかな音の変化が、思いのほか心をざわつかせる。
季節の境目にある庭は、まだ寒さを引きずり、空気のなかに乾いた匂いが残っている。けれど落とした枝の先には、すでにやわらかな芽が隠れているのが見える。通りすがりの誰かは、その小さな命に気づくこともなく、ただ無言で通り過ぎていく。
剪定とは、誰かに見せるためのものではない。それでも、刃を入れるたびに、誰かの視線を気にしてしまうのはなぜだろう。切り落としたものの形、残したものの輪郭、そのすべてが見透かされるようで、妙に落ち着かない。人はいつも、自分の手が生み出す風景を、他者の目に問うことで確かめようとする。
通り過ぎる足音は、振り向くこともなく消えていく。その一瞬のすれ違いのなかに、春の気配と、剪定ばさみの微かな響きと、自分の影がひとつに溶ける。誰かに気づかれるほどのことではないけれど、そこに確かに何かが生まれていた。春は、そうして知らぬ間に、ゆっくりと庭に降り積もっていく。
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