螽斯俺の金を使えよ

散文
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夜の帳が降りる頃、ふと耳元に螽斯(きりぎりす)の小さな鳴き声が響く。秋の庭で、ひそやかに草の陰に潜むその姿を目で探しながら、どこか気まぐれな親しみを感じる。螽斯の鳴き声は、虫の音のなかでもひときわ澄んでいて、秋の夜気に溶け込むその音色は、まるでささやかな生き方を謳うかのようだ。

「俺の金を使えよ」と、ふと自分に語りかけるようなその虫の鳴き声は、どこかしら憎めない響きを持っている。日々の生活で守ってきた金も、実のところ、使われなければただの冷たい存在だ。心を込めて使われることで、初めて金は温もりを帯び、その価値が人の間で紡がれていく。そう考えると、螽斯の小さな声は、ただの鳴き声ではなく、持つべきものと手放すべきものの間を行き交う命の律動を伝えているようにも感じられる。

螽斯が鳴くたびに、まるで秋がやさしく背中を押してくれるかのような気分になる。貯めこんだ金も、いずれ誰かの喜びや必要のために流れていく。もしかするとそれは、大切な人のためだったり、静かな庭の手入れのためだったりと、ささやかな温もりを生む一助となるだろう。そのとき、ひとつの硬貨や紙幣がどれほど小さなものでも、それが持つ重みと意味は、ただの数字を超えて自分を満たしてくれるはずだ。

螽斯の声が夜露の庭に響き渡ると、改めて心が軽くなり、ふと財布を手にしたくなる。何かのためにそっと使い出すその行為が、自分の中に眠る豊かさの一部であると気づく。螽斯が奏でる秋の音に導かれ、静かな夜が金の温もりと共に、さらに深まっていく。

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