始まりは月曜日

エッセイ
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魚の目というのは、存在感のわりに語られることの少ない痛みだ。右足の親指の、ちょうど体重がかかる場所にそれはあって、朝、床に足をついた瞬間に「今日もいるな」と無言で自己紹介してくる。靴下越しでもわかる、小さな石粒を踏み続けているような鈍痛。これが数日続くと、人はついに観念する。病院に行こう、と。

来週の土曜日に病院へ行くつもりだ、そう妻に告げた。台所には夕方の光が斜めに差し込んでいて、シンクの中のコップが水滴をまとったまま黙っている。妻は包丁を置き、こちらを見て一言、「今週の?」と聞いた。

ああ、またその話か、と思った。日曜始まりか月曜始まりか、カレンダー観の違い。世界史の宗派対立のように根深く、そしてだいたい不毛な議論だ。だから私は「そういう話はしなくていいよ」と軽く遮った。すると妻は少し眉を上げて、「いや、今日、月曜日だけど」と言う。

その瞬間、空気が一拍止まった。冷蔵庫のモーター音がやけに大きく聞こえる。あ、そうか、今日、月曜か。祝日だったのである。私の頭の中では、今日は完全に日曜日だった。翌日に仕事がある休日というのは日曜日だと脳に刻まれていたのだろう。

説明するとこうなる。妻は日曜始まり、私は月曜始まり。妻にとって日曜日に言う「今週の火曜日」は、これから来る火曜日だが、私にとって日曜日に言う「今週の火曜日」は、すでに通り過ぎた火曜日のことになる。回想モードだ。そんなズレを抱えたまま、私は日曜日のつもりで「来週の土曜日に病院行くわ」と言った。妻の耳には、それは二つ先の土曜日として届いた。

だから「今週の?」となったわけだ。私が「もういいよ」と言ったとき、妻の中ではいいも悪いもなく、ただ曜日が迷子になっている夫がいただけだった。「あなた月曜始まりでしょ。今日が月曜なら、“来週”は一つ先じゃなくて二つ先になるよ?」という、きわめて実務的な確認だった。

なるほど、そういうことか。


今では魚の目は治っており、親指の皮膚は少し硬さを残すだけになっている。けれど、曜日感覚の魚の目は、まだ足のどこかに残っている気がする。床に足をつくたび、月曜か日曜かと、小さく問いかけてくるのだ。

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