だるまさんがころんだ

エッセイ
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居間の真ん中で、妻と娘と3人、「だるまさんがころんだ」をすることになった。
昼下がりで、窓から入る光が畳の縁を白く照らしている。テレビは消えていて、家の中はやけに静かだ。こういうとき、人は突然、昔ながらの遊びを始める。

鬼は代わり番こ。
私が壁に向かって「だーるーまーさーんーがー、こーろーんーだ」と言って振り返る。
そのたびに、2人はぴたりと止まる——はずだった。

止まらない。

いや、正確には止まっているのだが、2人とも一向に近づいてこない。距離は縮まらないまま、振り返るたびに、妙なポーズだけが増えていく。
妻は片足立ちで腕を広げ、娘はなぜか腰を落としてカニのような格好。動いてはいないが、情報量が多い。

「いや、タッチしに来ないの?」
思わず聞くと、妻が怪訝そうな顔をした。

「え? なんでタッチするの?」

ここで、文化の断層が露わになった。

私と娘は「タッチで終わり派」である。鬼に近づき、最後はタッチして勝利。これがだるまさんが転んだの完成形だと信じて疑わなかった。
ところが妻の地元では、タッチで終わりという概念が存在しないらしい。

「だるまさんがころんだ、って言って、振り返るたびに止まって、変なポーズするだけだよ」
妻は当然のように言う。

なるほど。
なるほど……?

それはもう、鬼から逃げるゲームというより、静止芸の発表会である。距離は縮まらず、勝敗も曖昧。ただ、わちゃわちゃして楽しい。それが正解らしい。

妻は言った。
「タッチで終わりっていう方が変だよ」

そして、タッチで終わり派の私と娘は、軽く異端扱いされた。
娘は一瞬こちらを見て、「え、そうなの?」という顔をした。自分が属していた宗派が少数派だと知った瞬間の表情だった。

再開されたゲームでは、誰もタッチしないまま、ポーズだけがどんどん奇妙になっていった。
時間だけが過ぎ、勝者も敗者もいない。

だるまさんがころんだにも、地方色がある。
そして家庭というのは、こうして小さな文化衝突を繰り返しながら、なんとなく、転んで起きてを繰り返していくのだろう。

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