この間、TOEICを受験した。
ネットで申し込みをして、受験票が郵送されてくる。
その受験票には本人確認のために証明写真を貼る箇所がある。
直近で証明写真なんて撮ることはなかったので、家には置いていない。
証明写真を撮らないといけない。
ただ、その証明写真は当日までに貼ればよかったので、受験当日に証明写真を撮ることにしていた。
受験当日。
その日は午後から雨の予報だった。
家の中から外を見ると、まだ雨は降っていないものの曇っており、確かに雨が降りそうな気配を感じる。
私は折り畳み傘を持っていくことにした。
妻も受験をするので、妻と一緒に出かけ、会場に行く途中で証明写真を撮ることにした。
ちなみに妻は事前に証明写真は撮っていたので、私だけ写真を撮った。
その証明写真機は地下鉄の構内の隅に置かれていた。
地下鉄の構内の中でもあまり人の通りが少ない通路の隅、私が写真を撮っていた時も周りに人はいなかった。
写真機の中に入り、写真を撮る。
証明写真の椅子は高さの調整をネジのように回して行う。そのためか、座る箇所は小さく、椅子の支えも細い。
中も狭いため、荷物を足元に置いた。
お金を入れ、アナウンスの指示に従う。
姿勢を正し、写真を撮った。
出来上がった写真は、光の当たり方がおかしなせいか、少し昔の写真のようだった。
地下鉄を使って受験会場へ向かう。
駅から地上に上がった時、小雨が降っていた。
その時、あることに気づいた。
折り畳み傘を証明写真機の中に忘れていたのだ。
受験時間は決まっているので取りに戻ることもできず、仕方がないので試験が終わってから取りに行くことにした。
…
試験が終わり、帰宅路へ。
試験はあまりできた感覚はなかった。
リスニングの出来が良くなく、帰り道に妻とその話をしていた。
そして、地下鉄に乗り、目的の駅の傘を忘れたであろう証明写真機の前へ来た。
写真機の前へ近づいていくと何やら違和感が。
写真機の前に何かがある。
それは、折り畳み傘と眼鏡だった。
折り畳み傘と眼鏡が写真機の前の地面の上に無造作に置かれていた。
これは自分の折り畳み傘だろうか?
近づくと、一見して、自分の傘のように思ったのだが、眼鏡とセットのように置かれていたので、自分の傘ではないような気もする。
写真機の中を確認して、何もなかったら自分の傘だろうと思ったので、写真機の中を確認しようとしたのだが、中で誰か撮影していたので少し待つことにした。
…
5分待つ、まだ出てこない。
…
10分待つ、まだ出てこない。
…
20分ほど待ったところで、流石に証明写真一枚撮るのにこんなに時間はかからないだろうと思い、中の様子を伺ってみる。
写真機のカーテンから見えている足は、横の壁にもたれかかっているように、斜めになっている。
寝ているのだろうか?
中は全く動いている気配がなく、アナウンスの音は聞こえない。
そのため、証明写真を撮影をしているように思えなかった。
足だけではどんな人物がいるのかはわからない。
男か女だろうか、若いのか年をとっているのか。
声をかけてみて変な人が出てきたらどうしようかと考えた。
一人でいる場合だったら大抵はどうとでもなるのだが、この時妻と一緒にいた。
声をかけて、いきなり襲いかかられては困ると思い、とりあえず妻を写真機から遠のいてもらった。
妻が離れた場所に行ったところで、意を決して中の人に話しかけてみる。
中に傘があるかを確認できればいいのだが、中を見せてほしいというのも変なので、写真を撮りたいという体で声をかけてみる。
「すいませーん、ちょっと写真撮りたいんですけど。」
…
返事はない。
もう一度声をかける。
「すいませーん?」
写真機の中でゴソゴソと動きがある。
やはり中で寝ていたようだ。
出てきた。
出てきた人は、少し厚着をしていたが、普通の男性であった。
身長は170くらい、少し痩せ型で年齢は30前後であると思う。
髭は綺麗に剃っているが長髪で、少し暗そうな雰囲気を持っている。
出てきたその男は無言でこちらを見た後、落ちている眼鏡を拾った。
そしてこちらを見て、
「…どうぞ」
(どうぞ?写真を撮っていいということだろうか。)
(写真撮り終わるまで前で待って、私が出たらまた写真機の中に戻るのだろうか。)
もちろん、私は写真を撮るつもりはなく、写真機の中に自分の傘があるかどうか確認したかっただけなので、写真機の前で待たれても困る。
もし私が写真を撮らなかったら怒るだろうか。
とりあえず中に入ったところ、傘はなかった。
やはり写真機の前に落ちていた傘が自分のだったらしい。
傘についての問題は解決したが、ここからどうやって出ようかという問題が残った。
どうぞと言われて写真機に入った以上、何もしないまま出るのは難しい。
しかも、写真機の前で待たれていた場合、写真を撮らないと、何もせずに出てくるのがバレるため中の人を呼び出した言葉と矛盾が出てきてしまう。
あまり考えてもしょうがないので、しばらく様子を見て、ずっと写真機の前で待たれるようだったら写真を撮って出ようと思った。
外の様子を伺いながら少し待つ。
1分くらい様子を見ていたところ、相手は諦めたのか、どこか別の方向に歩いて行った。
写真機の前には、おそらく自分のであろう折り畳み傘がポツンと置かれており、他に人影はなくなった。
(もう行ったかな?)
相手の影が見えなくなったことを確認して外へ出た。
折り畳み傘を拾う。
眼鏡と一緒に地面に置かれていた時は違和感があったが、改めて一つの折り畳み傘として見るとやはり自分の折り畳み傘だった。
妻に終わったことを連絡し、合流する。
妻は少し離れたとこから隠れて見ていたようで、すぐに写真機の前にやってきた。
妻と合流した後、夜ご飯の食材を買ってから帰ろうと、地下鉄の出口に向かった。
向かい側からはまばらな人波があり、通り過ぎる瞬間、彼がいることに気づいた。
(また、あそこに戻るのだろうか。)
彼と目を合わせないように顔をまっすぐ向いて歩く。
彼はこちらの事など何も気にしていないというようにまっすぐ、姿勢正しく私たちの横を歩いて行った。
私たちの横を通り過ぎた後、振り返って彼がどこに行くかを眺めていた。
彼は写真機からどこかへ行った時の足取りとは違い、迷いのない足取りだった。
ここからその写真機は見えなかったが、おそらくまた、写真機に戻るのだろう。
そう思って私も振り返り、帰路に着いた。
以上
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