幸福とは何か

よく知らないこと
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「幸福」という言葉はよく使うけれど、実は漠然として捉えにくいものです。広辞苑には「心が満ち足りていること」とあります。確かに「満ち足りた状態」というのはわかりやすい言葉ですが、人によって感じ方は違います。日本語の漢字で見ると「幸(自力で得るもの)」と「福(神仏からの賜り物)」が組み合わさった言葉で、自分の努力と何か恵みによって成り立つ微妙な意味合いを持つとも言われます。古代ギリシア語のeudaimonia(エウダイモニア)も、「人には守護霊のような存在がついている」という意味合いが込められ、やはり個人だけでなく周囲の力が幸福に影響するという含意があると言います

哲学者アリストテレスは『ニコマコス倫理学』で「幸福は人間にとって最高の善であり、ほかの目的のためでなくそれ自体が目的である」と述べました。つまり、人は何かを成し遂げる最終目標として幸福を追い求める傾向があるという考え方です。他方、心理学者マズローは「ある欲求が満たされるとさらに高い欲求が出てくるので、絶対的な幸福は存在しない」としており、達成すれば終わりというような「ゴールとしての幸福」は難しいとも言われます。ある研究では、幸福の要素として「①主観的に自分が幸福だと感じること」「②周囲と価値観が違っていても幸福と認められること」「③その状態に感謝できること」を挙げています。心の充足感だけでなく、他者との関係や感謝の気持ちも幸福と結びつく、という視点が示されています。

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幸福の起源と歴史

人類は古来、幸福のあり方を問い続けてきました。古代ギリシャでは、アリストテレス以外にもストア派が理性による平静(禁欲)を幸福の道とし、一方エピクロス派は「精神的な快」を重視して静かな心の安定(アタラクシア)を幸福としました。これらは表面上は対立するようでも、どちらも外界への執着を手放して内面の安定を求めるという点で共通し、仏教の「渇愛(執着)から離れ涅槃に至る境地」に通じるとも言われます。実際、日本の仏教経典『法華経』にも「すべての衆生の真の幸福と安楽のために説かれた」とあり、釈迦の説法そのものが「世界中の人々を幸せにする」ことを目的としています。思想史をたどれば、中国の老荘思想や儒教でも調和や徳による幸福が語られ、日本では仏教や神道、儒教的倫理が混じり合いながら「平穏無事であること」「和を重んじる心」が幸福観に影響を与えてきました。「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」(宮沢賢治)という言葉に示されるように、日本の思想には個人の幸福と社会全体の調和を重視する発想もあります

現代社会における幸福

現代では、幸福は政治や経済でも注目されるテーマになりました。国連はGDPだけでなく健康寿命や社会的寛容度などから「世界幸福度ランキング」を作成し、2019年にはフィンランドや北欧諸国が上位でした(日本は58位)。これらの国々では社会保障や福祉が手厚いことが高評価に反映しています。一方で、ブータン王国が提唱した「国民総幸福量(GNH)」の考え方は、経済成長偏重が人々の幸福を損なう場合もあるとの反省から生まれました。日本でも政府は「幸福度」や「満足度・生活の質(Well-being)」の調査を実施し、経済政策に幸福感の視点を取り入れようとしています。

企業レベルでも従業員の幸福に関心が高まり、日立製作所は社員の幸福度をスマートフォンアプリで測定し改善策を提案する会社を立ち上げました。このように、現代社会では幸福は単なる個人の感情ではなく社会・経済政策の評価軸ビジネスの分析対象にもなっています。ただし、先進国では経済成長と幸福感が必ずしも比例しないことも知られており、日本では戦後の所得が8倍になっても生活満足度は横ばいのままだと指摘されています。つまり、ある程度の豊かさは幸福の前提条件ですが、それ以上の成長だけでは幸福感は増えにくいのかもしれません。

幸福にまつわる議論・矛盾

幸福論にはさまざまな対立点や矛盾があります。例えば金銭や物質で得られる幸福については、「一定の収入まで幸福は増すが、その後は飽和する」という研究もあります。実際、日本はGDP世界トップクラスながら自殺率も高く、物質的繁栄と幸福感の関係は一筋縄ではいかないことがわかります。逆に、幸福を「追い求めること自体が幸福を遠ざける」というパラドックスも報告されています。最近の研究では、幸福になろうと意識するほど精神的資源が消耗し、自制心が低下する傾向が見つかりました。極端な例では、幸福に関する言葉を意識させられただけでチョコレートを過剰に食べてしまう実験もあり、幸福を目標にすると逆効果になる恐れがあることが示唆されています

また、文化による幸福観の違いも見逃せません。研究者によれば、欧米では高い自尊心が幸福と結びつきやすいのに対し、東アジアでは社会的規範への順応や他者との調和の維持が幸福感に強く影響します。たとえば、欧米では「年齢とともに幸せが右肩上がり」というイメージも強いのに対し、日本人は浮き沈みを当たり前と考え、「他人と比べずバランスを取ること」が幸せと見なされる傾向があります。さらに、幸福感には慣れの問題もあります。大きな報酬や成功を得ても、時間がたてば幸福感は元の水準に戻ってしまう「快楽順応(ヘドニック・トレッドミル)」という現象が知られています。要するに、条件を揃えて「これで幸せ!」と思っても、その状態が長続きしないことが多いのです。

個人の生活と幸福

では、これらを踏まえて私たち個人の日常生活と幸福はどうつながるのでしょうか。一つには「生きがい」の考え方があります。日本では「生きがい(人生における生きる理由や目的)」を大切にする伝統があり、長寿研究でも注目されています。臨床心理士の長谷川明弘氏によれば、生きがいとは文字通り「生きる甲斐(価値)」であり、西洋には直訳できない概念です。調査では、日本人のうち仕事を生きがいと答えたのはわずか3割程度で、それ以外の趣味や地域活動・家族などが人生の意味となっている人が多いといいます。香港の研究者マシューズ教授は、日本人の生きがいには「集団への帰属感・献身」と「自己実現・個人の目標」という二つの要素があると指摘しています。仕事に限らず、自分を必要としてくれる社会や仲間とのつながりが、生きがい/幸福感を支えているわけです。

また、研究では人間関係の影響も大きく指摘されています。職を失ったり体調を崩すことは幸福度を著しく下げる一方、結婚や友人との交際は幸せに大きく寄与します。意外にも「子どもがいる夫婦のほうが幸せ」というデータはほとんどないというのも興味深い結果です。さらに、日本人は幸福を聞かれると控えめに答える傾向があり、国際比較で幸福度が低く出がちですが、それは必ずしも“本質的に不幸”だからではなく文化的な特徴だと指摘されています。つまり、同じ状況でも自分を低く評価する日本人と、自信満々に答える西洋人がいて、同じレベルの生活満足度でも点数が違ってしまうわけです。こうした結果から、自分なりの価値観や感謝の気持ちを大切にしつつ、人とのつながりを意識することが現実的な幸福感につながると言えるでしょう

幸福観が変える世界の見え方

幸福について学ぶと、ものの見方が変わることがあります。例えば、豊かさ=幸福と考えるだけでは、物質だけ追い求めるばかりで心が空虚になりがちです。それより、幸せは「目標ではなく副産物」という考え方もあります。あるいは他者とのつながりや共同体への貢献が幸福感に大きく関わると知れば、自分一人だけの利益を求めるよりも周りを気遣おうという発想も生まれます。また、直接「幸せになろう」とがむしゃらに行動すると自己制御が削がれるという実験結果からは、気負わず日々の小さな喜びを見つける大切さに気づかされます。仏教の教えや「平穏」の価値を改めて受け止めてみるのも一つです。こうして幸福の多面的な定義や文化差を知ると、「幸せそうに見えるあの人も、あの社会も、同じ土台で考えると違っているかもしれない」と、世界を少し広い視野で見る助けになります。

現時点でのまとめ

ここまで見てきたように、「幸福」と一口に言っても定義は一つではありません。主観的な満足感であると同時に、社会的・倫理的な価値観とも深く結びついています。歴史的には「最高の善」や「煩悩からの解放」として語られ、現代では経済・科学・政策の対象となりました。個人レベルでは、自分の生き方(生きがい)や感謝の心、周囲との調和が幸福感の鍵になることがわかってきています。現時点では「これが正解」という答えはありませんが、こうした視点を踏まえて考えると、幸福とは単なる結果ではなく、日々の営みや価値観そのものに潜むものという理解が得られます。つまり、「何を幸せだと感じるか?」という問いを自分自身に問い続けることで、世界や日常が今までと少し違って見えてくる──そんな風に考えることができるのではないでしょうか

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