キツネうどん

エッセイ
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17時。台所の窓は西日に照らされて、ステンレスの流し台だけがやけに明るい。
「うどんが食べたい」
妻がそう言ったので、反射的にキツネうどんを作ることにした。反射的、というのが大事で、これは思いやりというより条件反射に近い。

棚の奥から、四国土産の讃岐うどんの半生麺を取り出す。たしか一月、松山に行ったついでに買ったやつだ。四国はどの県に行っても、なぜかうどんが売っている。空港でも、道の駅でも、なんなら心の隙間にも売っている。
鍋に湯を張り、麺を放り込む。湯の中で白い麺がほどけていく様子は、何度見てもいい。コシ、という言葉がこれほど似合う食べ物もない。茹で麺とは別次元の存在だ。

もう一つの鍋で油揚げを甘辛く煮る。出汁と砂糖と醤油を合わせた煮汁がぐつぐつ言い始め、湯気に混じって甘い匂いが立つ。油揚げが煮汁を吸って、色がじわっと濃くなる。キツネうどんのキツネは、やはり主役だと思う。少なくとも私はキツネが一番好きだ。

17時半。完璧なタイミングでキツネうどんは完成した。
——が、食卓は完成していなかった。

リビングで妻と娘が揉めている。何についてだったかは覚えていないが、声の調子からして些細で、しかし互いに引く気はない、よくあるやつだ。テーブルの上には、おもちゃとリモコンと謎の紙切れ。うどんの居場所はない。

私は激怒した。
麺類は伸びる。これは事実であり、信仰であり、私の人生哲学でもある。できた料理は、すぐ食べる。それが作った者への最低限の敬意だと、私は思っている。

私はキツネうどんを食卓に出すのをやめ、妻と娘の分をキッチンに置いたまま、自分のを食べた。湯気が立つ丼を前に、一人ですする。麺はうまい。うますぎる。だから余計に腹が立つ。

妻もキッチンでキツネうどんを食べた。だが、キツネを残していた。丼の中に、しんなりとした油揚げがぽつんと残る。その姿はどこか反抗的に見えた。もちろん、私の主観である。

妻は私が怒ったことが不満だったらしく、言った。
「あなたも、ご飯できてても食卓片付けてないことあるじゃん」

そう言われると、たしかに、ある気もする。あるかもしれない。というか、きっとある。どう返したかは覚えていない。ただ、キツネうどんで怒った、という事実だけは妙に鮮明に残っている。

私は、だらだら食べるのが嫌いだ。食べ始めるのが遅いのも嫌いだ。娘はご飯よりもYouTubeを優先する。食べなさいと言っても食べない。じゃあいらないのかと思って「お父さんが食べようか」と言うと、「食べる」と言う。そして結局、かなり残す。
テーブルの上には、冷めたうどん。

その日、丼に残った狐を見ながら、私は思った。
怒るほどのことだったのかどうかは分からない。ただ、うどんは伸びるし、キツネはうまい。
そして私は、たぶん、ちょっと面倒くさい人間なのだ。

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