歳暮送る時に度々待ち時間

散文
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歳暮の贈り物を包みながら、私はふと、時間の流れの不確かさに思いを馳せる。送るべき相手に届けるその一箱は、ただの品物ではない。年の瀬の、少しだけ手間をかけて選んだ品々が、感謝の気持ちを込めた言葉と共に送られる。その準備が整い、手を伸ばした瞬間から、何もかもが過ぎ去っていくのだろうと感じる。

贈り物を送る時に感じる「待ち時間」は、まるで長い道を歩む途中でのひと休みのようだ。包みが仕上がり、住所を書き、手紙を添えて……あとは届くのを待つばかり。その間に流れる時間は、ただ静かで、確かに動いているようでいて、どこか自分の手を離れた感覚に包まれる。贈ったものがどう受け取られるか、きっと相手の顔を思い浮かべながらも、同時にその思いがどこか遠くに消えていくようにも感じる。

待ち時間の中に漂うのは、ひとときの静寂だ。贈り物が届くまでのその期間、私は何度も時計を見て、過ぎ去った時間を無意識に数えている。時間が手の中をすり抜けていく感覚は、日常の中では気づきにくいが、この歳末にこそ強く感じるものだ。歳暮を送る時の待ち時間は、贈ったものがどれだけ相手の心に届くかを測るひとときのようにも思える。急かすことなく、ただ時を過ごす。何もせずにただ待つ、その瞬間が、実は一番大切なものに思えてくる。

そして、待つことに意味を見出しながら、贈り物が相手の元に届いた時のことを思い浮かべる。開けられるその瞬間、受け取った手が包みを解くその一瞬が、どんなにか貴重で、温かく感じられるだろう。それが、歳暮を送ることの本当の喜びであり、贈り物の真髄であるのかもしれない。

歳暮を送るその「待ち時間」、それは時間の流れを感じる貴重なひとときであり、同時にそれが送る側の心を洗う、静かな儀式のようでもある。慌ただしい年末のひと時に、ふと立ち止まり、その心を受け入れる瞬間を大切にしながら、贈り物が無事に届くことを願っている。

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