春の入口に立つ美術館は、冷たい空気と柔らかな光の狭間にあった。企画展の片隅には、子ども向けのスタンプラリーが設けられていて、小さな台紙を手にした親子が、展示室を巡る姿が目に入る。ふざけ合う声が響くわけでもなく、ただ黙々と、しかしどこか嬉しげにスタンプを押していく。
展示室を抜け、外に出ると、池の水がゆるんでいた。冬のあいだ、硬く閉ざされていた水面が、わずかにゆらぎを取り戻している。岸辺の石の上を、小さなスタンプの台紙が風に煽られ、ひらひらと舞う。子どもの手からふいに離れたそれを、大人が慌てて追いかける。そんな些細な光景にも、春の匂いが立ち上る。
水温むとは、季語でありながら、触れることのできる感覚でもある。掌を差し入れれば、冬の冷たさが残る水の奥に、確かにほどけていく温もりが潜んでいる。スタンプを押す手と、水に触れる手。そのどちらにも、季節の移ろいが、密やかに刻まれていた。
スタンプラリーを終えた子どもが、台紙を握りしめながら池のほとりに立つ。風が吹くたび、水面にはさざ波が広がり、そのひとつひとつに、春の光が映り込む。美術館を出る頃には、台紙も指先も、ほんのり湿っていた。水も言葉も、春の訪れを伝えるために、静かにほどけてゆく。
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