Contents
エグゼクティブサマリー
結論から言うと、桃太郎のおばあさんは、単なる「脇役の老女」ではなく、物語を起動し、子を受け入れ、食べさせ、送り出し、帰りを待つという養育の一連の回路を担う中心人物として描かれてきました。ただし、その描かれ方は時代と媒体によってかなり違います。江戸期の古い型では、おばあさんは桃を食べて若返り、場合によっては桃太郎を身ごもる生物学的母に近い存在です。明治以降の果生型・教科書型・絵本型では、性的・身体的な要素が薄められ、桃から出てきた子を「授かった」養母・育ての母へと役割が整理されます。さらに戦時色の強い翻案や一部の映画では、桃太郎が国家的英雄へ拡大されるぶん、おばあさんの存在感はぐっと後景化します。つまり、おばあさんは時代が進むほど「身体の母」から「徳の母」「世話の母」へ、さらに極端な場合には「英雄を送り出す装置」へと変化していくのです。
そのうえで大事なのは、後景化したからといって重要性が消えるわけではない、という点です。近代以降のよく知られた型でも、おばあさんは桃を発見し、家庭に持ち込み、赤子を受容し、衣食の世話をし、出征前の食糧であるきびだんごづくりを担い、別れの場面では身体の安全を気づかいます。桃太郎が「鬼退治」という表の舞台に立つための床板を敷いているのは、おおげさでなくこのおばあさんです。ヒーローがスポットライトなら、おばあさんは舞台袖の電源盤みたいなものです。目立たないのに、落とすと全部止まる。
本稿では、江戸期の草双紙・合巻・口承変異、明治以降の教科書と児童向け再話、昭和の代表的絵本、舞台化・映画化を比較しながら、行動・発話・ケア実践・道徳的意味づけ・家族内関係・ジェンダー規範のそれぞれから、おばあさん像を追います。あわせて、民俗学・児童文学研究・ジェンダー/ケア研究を参照し、最後に現代的なフェミニズム的・教育学的読みの可能性もまとめます。
史料の集め方と前提
まず前提をはっきりさせます。桃太郎は「正本」が一冊どんと座っているタイプの作品ではなく、口承・草双紙・教科書・絵本・芝居・映画へと、姿を変えながら転がってきた大きな桃です。日本認知科学会の報告では、比較対象となる桃太郎話は全国で六百数十種を超える規模にのぼるとされ、単一の版だけで「桃太郎全体」を代表させるのは危険です。そこで本稿では、原話群として江戸期の文献化された回春型・果生型・混成型、近代的定着型として巌谷小波・教科書・楠山正雄、代表的絵本として講談社版・福音館版、舞台と映画は代表例を選択し、どの版を見ているかをできるだけ明示する方針を取りました。
原話の比較では、立命館大学アート・リサーチセンターの ArtWiki に整理された江戸期資料の要約と翻刻断片がとても有用です。ここでは、江戸期には回春型が優勢で、江戸末から明治にかけて果生型が一般化していく流れが示され、さらに『燕石雑志』には文化年間の時点で回春型と果生型の両方が併存していたことが記されています。つまり、おばあさんが「若返って産む」のか、「桃から生まれた子を育てる」のかは、昔から一枚岩ではありませんでした。研究対象の中心を「おばあさんの養育者像」に置くなら、この分岐は最重要ポイントです。
近代以降の定着型を見るためには、巌谷小波の『日本昔噺 第1編 桃太郎』が外せません。国際子ども図書館は、この本を博文館の「日本昔噺」シリーズ第1編であり、その後の昔話絵本に大きな影響を与えたものとして紹介しています。また、明治二十年の『尋常小学読本』で桃太郎が学校教材に採用され、その後も国定国語教科書の複数期にわたり一年生用巻一に収録されたことが確認できます。桃太郎は近代日本で「よく知られた昔話」になっただけでなく、学校を通じて配られたのです。これは、おばあさん像もまた家庭の中だけでなく、国家規模の「よい養育」の見本棚に並べられたことを意味します。
児童文学・絵本の検討では、まず楠山正雄の青空文庫版『桃太郎』を、広く流通した近代的再話の代表として用いました。昭和の絵本については、昭和十二年の『講談社の絵本』版と、松居直・赤羽末吉による福音館版『ももたろう』を代表例として扱います。版の細かな異同をすべて網羅したわけではありませんが、研究史では講談社の絵本から占領期絵本までを比較した首藤美香子の論文があり、そこでは明治・大正期に桃太郎の攻撃性を見せる視覚表現が和らぐこと、占領期にも多くの桃太郎絵本が流通していたことが指摘されています。
舞台と映画は、史料アクセスの都合で「詳細に読める脚本全文」よりも「代表的作品の公式・学術的紹介」を優先しています。舞台は、宝塚歌劇第一回公演の一つでもあったお伽歌劇《ドンブラコ》と、現代の淡路人形座の『ももたろう』を主な例としました。映画は、日本アニメーション映画クラシックスに収録された『お伽噺 日本一 桃太郎』(1928)と『漫画 空の桃太郎』(1931)、および戦時下の『桃太郎 海の神兵』(1945)関連研究を参照します。ここは後で限界としても触れますが、祖母の細部描写を深く追えるのは主に文字テクストであり、舞台・映画では「存在の密度」より「存在の消え方」が分析の中心になります。
原話群に見るおばあさん
江戸期の資料を見て最初に驚くのは、現代人がよく知る「川から流れてきた桃が割れて赤ん坊が出る」だけが昔の標準ではないことです。ArtWiki の整理によれば、江戸期には桃を食べた爺婆が若返り、婆が身ごもって桃太郎を産む回春型が多く、黄表紙『桃太郎一代記』(1781)でも、桃山の神の告げのあと、婆が拾った桃を食べて若返り、身ごもって出産します。つまりこの型のおばあさんは、発見者・養育者である前に、はっきり母体です。ここでは養育は「拾って育てる」より、「若返って生む」に強く接続しており、おばあさんの身体性はかなり前景化しています。
しかも、その身体性はしばしばユーモアや色気を帯びています。式亭三馬や楽亭西馬の合巻では、若返った爺婆が互いを美男美女に見立てて褒め合ったり、『昔嘲桃太郎』では、若返った爺が「はやくひがくれゝばよい」「わしはむせうにねたくなつた」と言うなど、かなり大人向けの含みが挿しこまれています。ここでのおばあさんは、慈愛だけをまとう聖母ではありません。笑いの対象にもなり、欲望の主体にもなる。乱暴に言えば、江戸の婆さんはまだ「生き物」として描かれていて、近代以降のように清潔なケア記号へ消毒されきっていません。
ただし、江戸期にも果生型は存在していました。文化六年刊『燕石雑志』には、桃が自然に割れて中から男児が現れ、子のない老夫婦がそれを喜んで養い桃太郎と名づける話が載る一方で、「あるはは云ふ」として、桃を食べて若返った夫婦のあいだに男児が生まれる別型も併記されています。ここが面白いところで、すでにこの時点で**「養って名づける型」と「産む型」が併走**している。おばあさん像も、「産む母」と「育てる母」の二枚看板だったわけです。
さらに混成型もあります。ArtWiki によると、文化九年の合巻『桃太郎』では、二つ流れてきた桃の一つを爺婆が食べて若返り、もう一つから桃太郎が生まれます。天保期の『桃太郎一代記』では、桃から桃太郎が生まれ、その割れた桃を食べた爺婆が若返ります。ここでは、おばあさんは「産まないが若返る」あるいは「若返るが生まれる主体ではない」という、いわば身体性と養育性のあいだにまたがる中間ポジションにいます。物語が近代的な果生型へ寄っていく途中で、おばあさんの身体は徐々に薄まりながらも、まだ湯気くらいは残しているのです。
一方、近代的な語りにかなり近い楠山正雄版では、おばあさんの役割は明快です。日常の労働として川で洗濯をしていたおばあさんが桃を発見し、歌で桃を呼び寄せ、家へ持ち帰り、老夫婦は「子供が一人ほしい」と願っていたことを語り、赤子を授かったと喜びます。その直後には、おじいさんが湯をわかし、おばあさんがむつきをそろえ、赤子を抱き上げ、産湯を使わせます。ここではおばあさんは、発見者、受容者、育児実務者の三役をひとりでかなり担っています。冒頭のエンジンキーを回すのも彼女、最初のミルクどころか最初のむつきを用意するのも彼女です。
しかもこの版では、桃太郎は十五歳になっても、おじいさん・おばあさんに「よく孝行」し、鬼退治に出るときには二人を「おとうさん、おかあさん」と呼びます。血縁の説明は要らない、という強いメッセージです。おばあさんは「拾った子の世話人」ではなく、呼称のレベルでも社会的母親として確定されています。近代の桃太郎は、出自の不思議さを残しつつ、家族関係だけはきっちり整頓される。その整頓係が、おばあさんでもあるのです。
近代以降の翻案に見る変化
明治以降に入ると、おばあさんは次第に「身体の母」よりも「育てる母」として描かれる比重が高まります。教科書に載る最初期の桃太郎本文として、山崎舞の論文紹介では『尋常小学読本』の書き出しが「むかし、ぢゞとばゞとが有りました。ちゞは、山へくさ…」と示されており、すでに老夫婦の日常労働という枠組みが前景にあります。また、加原奈穂子を引くレファレンス協同データベースは、桃太郎が明治二十年の教科書採用を起点に「国民童話」化し、国定教科書でも長く使われたことを確認しています。学校に入った桃太郎で、おばあさんに求められたのは、江戸の冗談まじりの生々しさより、勤勉・家庭性・受容性のほうでした。
巌谷小波の『日本昔噺 第1編 桃太郎』は、この近代化のハブです。国際子ども図書館は、このシリーズ第1編が初版1894年で、その後の昔話絵本に大きな影響を与えたと説明しています。そして、加原奈穂子の研究やそれを引く教育史的論考では、小波の桃太郎が国家や国民を象徴する存在へ変わる過程、さらに小波の「桃太郎主義」が教科書解釈にも影響した可能性が論じられています。小波版そのものの細部全文にはここで踏み込まないとしても、少なくとも近代の桃太郎が「家庭の子」から「国家の子」へ膨らむ際、おばあさんは英雄を育てる家庭の起点として整理され直したと見てよいでしょう。
昭和の児童絵本では、その整理がさらに視覚的にも進みます。首藤美香子の論文スニペットによれば、明治・大正期の絵本になると桃太郎の破壊的な攻撃力を示す視覚表現は和らいでいきます。講談社の絵本『桃太郎』は昭和十二年刊行、戦後にも再版され、講談社公式はそれを「一流の日本画家によって」描かれた作品として復刊しています。このタイプの絵本では、家庭場面の老夫婦、とくにおばあさんは、荒ぶる身体よりも美しく整えられた家庭性の側に置かれます。おばあさんはもはや「若返って夜が待ち遠しい」人ではなく、きれいな和服で英雄を送り出す人になっていくわけです。江戸の湯気が、講談社の額縁に収まる感じです。
戦後の代表的絵本である松居直・赤羽末吉版『ももたろう』は、また別の方向に舵を切ります。福音館書店の公式説明は、この本を「桃太郎絵本の決定版」とし、紹介記事では、松居の再話が青森県五戸地方の伝承をもとに組み立てられたとされます。ここで特徴的なのは、音のリズムです。「つんぶく かんぶく」という擬態語で桃が流れ、語り全体が耳で聞いて気持ちよいように設計されている。おばあさん像も、そのリズムの中で、説教くさい母ではなく、昔話の息づかいを体に持つ語りの担い手として活性化します。近代日本語の教訓臭を少し洗い流して、民話の川の水にもう一度足を浸した感じです。
占領期の桃太郎絵本も見逃せません。首藤の論文スニペットでは、プランゲ文庫から絵本29点、読み物2点、漫画2点の桃太郎関連資料が見つかったとされ、谷暎子の著書案内では、占領期に「検閲にパスした桃太郎」と「違反に問われた桃太郎」が区別して論じられています。ここで重要なのは、敗戦後も桃太郎が消えず、しかしその意味づけは再調整されたことです。おばあさんは、この時期には国家的動員の母よりも、無害化された家庭童話の母として再配置されやすい。英雄を国家に差し出す母ではなく、まずは子ども向け出版を成立させる安全な家庭の顔として使われた、と考えるのが自然です。
舞台化・映画化では、おばあさんの輪郭はさらに揺れます。お伽歌劇《ドンブラコ》は明治末の子ども向けオペレッタで、所蔵目録には第一場が「爺婆住家の場」と記され、研究紹介でも桃太郎の誕生・門出・鬼ヶ島・帰郷が舞台化されることが示されています。他方、1928年のアニメ『お伽噺 日本一 桃太郎』では、おばあさんは川で桃を拾い、老夫婦がきびだんごを与えるという、現代的な筋に沿ってなお登場します。ところが1931年の『漫画 空の桃太郎』になると、桃太郎は現代に現れ、鬼ヶ島ではなく南極へ荒鷲退治に向かう存在となり、家庭の起点はほぼ飛び去ります。1945年の『桃太郎 海の神兵』では、桃太郎は南方へ向かう隊長であり、家族的背景はさらに後退します。要するに、メディアが派手になるほど、おばあさんはしばしばフェードアウトする。家庭の竈の火は、プロジェクターの光に負けやすいのです。
もっとも、現代の舞台では逆に教育的再配置も見られます。淡路人形座の『ももたろう』は、近年の子どもの童話離れを意識し、「古き良き童話」をいっしょに楽しみ、学びを感じてもらうために脚本し直したオリジナル演目だと説明しています。この種の現代上演では、おばあさんはしばしば昔話世界への入口として機能し、過激な英雄譚よりも、親しみやすい家族の場面が前口上として強調されがちです。つまり舞台では、時代によって消される祖母にも呼び戻される祖母にもなりうるわけです。
どう読んだか
ここからは、結論に至る読み筋をはっきり書きます。私が見たのは、大きく分けて五つです。行動、ことば、ケアの手つき、道徳的な位置づけ、関係の配分です。昔話研究では型の差がまず目につきますが、養育者としてのおばあさんを掴むには、「何をしたか」「どう言ったか」「誰が支えたか」を拾うのが近道です。桃の種類を数えるだけでは祖母像は見えません。台所の音、見送りの声、むつきの手触りまで追って、やっと輪郭が出てきます。
第一に行動です。楠山版では、おばあさんは物語の最初の能動者で、桃を発見し、歌で引き寄せ、持ち帰ります。鬼退治に向かう段では、おじいさんと一緒にきびだんご作りを担い、別れの場面では最後まで見送る。江戸の回春型では、さらに桃を食べ、若返り、場合によっては懐胎し出産する。つまりおばあさんは、どの型でも「物語の前半を動かす役」をかなり背負っています。桃太郎本人が活躍する前に、おばあさんはすでに物語を一回まわしているのです。
第二にことばです。楠山版のおばあさんは、桃を呼ぶときの歌、帰宅したおじいさんへの歓待、鬼退治に行く桃太郎への気遣いという三種類の声を持っています。とくに「気をつけて、けがをしないようにおしよ」という別れの言葉は、祖母像の芯をよく表します。これに対して江戸の合巻では、若返り後の会話に戯作的・色事的なニュアンスが入り、おばあさんの声はもう少し雑味を持っています。近代化とは、おばあさんの声から雑味を抜き、出汁だけにしていく過程でもあった、と言えるでしょう。
第三にケアの手つきです。楠山版では、老夫婦が子を望んでいたことが語られた直後に、おじいさんは湯をわかし、おばあさんはむつきを揃え、赤子を抱いて産湯を使わせます。また門出では、おじいさんが杵を取り、おばあさんがこねどりをしてきびだんごを作る。分業はありますが、乳児ケアはおばあさん側に深く寄り、遠征支援の食糧準備は共同作業です。この配分から、おばあさんは「愛情担当」だけではなく、実務担当でもあることがわかります。ケアはふわっとした空気ではなく、むつき・臼・団子という道具立てを伴っているのです。
第四に道徳的位置づけです。明治以降、桃太郎は教科書・修身・児童文化の素材として使われ、おばあさんもまた道徳的モデルの一部になりました。国立国会図書館デジタル資料の検索結果には『修身教授法集成』中の「桃太郎のお婆さんの修身教授」という章題が見えます。これは細部本文をここでは追っていませんが、少なくとも教育現場が「桃太郎のおばあさん」を個別に道徳教育の対象として読んでいた事実を示します。おばあさんは物語の背景ではなく、教えられる人格になっていたのです。
第五に関係の配分です。おじいさんとの関係では、おばあさんはしばしば「内」の担当、おじいさんは「外」の担当として置かれます。楠山版でも「山へ柴刈り/川へ洗濯」という対比は鮮明です。しかし、実際に事件を動かすのはおばあさん側から始まることが多く、果生型では桃の発見、回春型でも桃との接触は婆に担われやすい。祖父は制度上の家長ふうでも、物語の起爆スイッチは祖母側にある。桃太郎との関係では、桃太郎が「おかあさん」と呼ぶことで、おばあさんは血縁を越えた養育の正統性を獲得します。ここで桃太郎は、祖母に「世話になった」のではなく、「育てられた」子として立ち上がっています。
この五点を重ねると、結論はかなり明瞭です。桃太郎におけるおばあさんは、物語の発端を握る者、ケアの実務を担う者、食べ物を媒介に関係をつなぐ者、そして近代では道徳化された母性の担い手として描かれてきました。英雄譚の核が鬼退治にあるのは確かですが、養育者としてのおばあさんは、その核を包む殻ではなく、孵化させる体温です。卵から雛が勝手に出てくるわけではない、という当たり前の話が、桃太郎ではしばしば忘れられがちなのです。
歴史と社会の文脈で見る
江戸から近代への変化を大づかみに言えば、おばあさんの身体が削がれ、養育の機能が残されたと言えます。江戸の回春型では、おばあさんは若返る身体、懐胎する身体、笑われもする身体でした。ところが近代の学校・出版の制度に乗るにつれ、児童向けにふさわしくないとみなされた性的・生殖的含みは整理され、果生型が中心化していきます。ArtWiki でも、子ども向けに語られるときには果生型が採られ、回春的なくだりは省略・配慮されたのではないかと整理されています。ここで祖母像は「老いたがやさしい育て手」へと磨き上げられました。磨き上げる、というより角を削る、と言ったほうが近いかもしれません。
この削り方は、近代家族と母性イデオロギーの形成とも響き合います。後期近代を論じた社会学論文ですが、野尻洋平は先行研究を引きつつ、近代家族では性役割分業制と母性イデオロギーが浸透し、育児責任が「母親」へ個人化されていく流れを整理しています。もちろん桃太郎のおばあさんは「実母」ではないことも多いのですが、近代の再話では、彼女はほとんど実母と同じような世話・情緒・責任を引き受ける存在として描かれます。だからこそ、桃太郎が「おかあさん」と呼ぶ場面は効くのです。近代的な母性の椅子に、祖母が座らされているとも読めます。
農村生活の文脈でも、おばあさんの役割はよく見えます。桃太郎の基本設定は、柴刈りと洗濯、臼と杵、携行食としてのきびだんごといった小農的・自給的な生活景観のうえに置かれています。戦後農村女性政策を扱う研究では、1950年代から60年代にかけて、農村女性に対して家事労働の効率化、農繁期の生活調整、育児と家庭教育が改善目標として設定されていたことが示されます。時代はずれのようでいて、桃太郎のおばあさんが担う役割――食事、家事、育児、家庭管理――は、長く日本社会が女性に割り当ててきた労働のセットにかなり近い。彼女は昔話の中で、家の中の仕事を背負わされているのではなく、むしろ社会が「それを女性の仕事だ」とみなしてきた型を濃縮して見せているのです。
ただし、ここで「おばあさん=受動的で抑圧された家事労働者」とだけ言ってしまうと、少し粗い。なぜなら、桃太郎のテクストでは、おばあさんにはちゃんと能動性があるからです。桃を見つけるのは彼女、桃を引き寄せる歌を歌うのも彼女、赤子を抱くのも彼女、門出の食糧を作るのも彼女です。社会規範の中に入れられてはいるが、物語上はかなり働いている。この二重性が大切です。ケアはしばしば「従属」のかたちをとりますが、同時に物語進行を握る力でもある。おばあさんは、縁の下にいるけれど、縁の下の梁でもあります。
さらに、国家との関係も見ておく必要があります。加原奈穂子の研究が示すように、桃太郎は近代に国家や国民の象徴へと変貌し、小波の「桃太郎主義」は教育とも接続します。英雄が国家規模に拡大されると、家庭的ケアはしばしば見えにくくなります。映画でおばあさんが薄くなるのは、その典型です。1928年の『お伽噺 日本一 桃太郎』ではまだ祖母は桃を拾い、老夫婦はきびだんごを与えますが、1931年の『漫画 空の桃太郎』では桃太郎は現代戦のメタファーへ飛び、1945年の『桃太郎 海の神兵』では隊長として南方へ向かいます。祖母は「いたはずだが画面にいない」存在になる。国家が親の顔をし始めると、家の中の親は画面の隅へ押しやられるのです。
こう見ると、おばあさん像の歴史的変化は、単なる昔話のバリエーションではありません。生殖の身体を持つ老女から、家庭的徳性を帯びた養母へ、さらに場合によっては英雄を送り出す匿名のケア装置へ。これは、日本社会が女性のケアをどう見せ、どう隠してきたかの縮図でもあります。桃太郎は鬼退治の話であると同時に、ケアがどう英雄化されずに働いているかを見せる話でもある、と私は読みます。
結論と現代的な読み
以上を踏まえると、桃太郎のおばあさんは養育者として、だいたい三つの顔で描かれてきたと言えます。産む者、育てる者、送り出す者です。江戸期の回春型では第一の顔が強く、果生型・近代教科書型では第二の顔が前面に出て、近代国家化・戦時化が強まると第三の顔――送り出す者――が目立つようになります。別の言い方をすると、おばあさんは「母」「養母」「出征母」のあいだを、時代とともに少しずつスライドしてきたのです。
この変化の理由は、かなりはっきりしています。第一に、子ども向け出版・学校教育が広がるなかで、回春型の身体性や性的含みが避けられ、果生型が扱いやすかったこと。第二に、近代以降の家庭規範のなかで、おばあさんが「やさしく実務を担う育て手」として読まれやすかったこと。第三に、桃太郎そのものが国民的英雄へ大きくなったため、祖母のケアが物語の前景から押しやられたことです。要するに、桃太郎が大きくなるほど、おばあさんは小さく描かれがちだった。しかし実際には、小さく描かれた彼女の仕事が、桃太郎の大きさを下支えしていました。風船だけ見て「よく飛ぶ」と言っていると、手を離した人を忘れるのに似ています。
フェミニズム的に読むなら、ここにははっきりした問いがあります。なぜ英雄の物語では、ケアはしばしば前座として消えるのか。 桃太郎はきびだんごを持って旅立ちますが、そのきびだんごは自然発生しません。誰かが臼を出し、こね、作る。楠山版ではそれがちゃんと見えているのに、後代の受容ではしばしば「桃太郎と家来」の側だけが強調されます。おばあさんを丁寧に読むことは、英雄の背後にある無償の再生産労働を見えるようにする作業です。これは現代のケア論にもそのままつながります。
教育学的に読むなら、おばあさんはむしろ宝の山です。鬼退治を「勇気」としてだけ教えるのではなく、育てる・食べさせる・送り出す・待つというケアの連鎖を読み取らせることができます。また、回春型と果生型を比較すれば、昔話が時代の規範に応じてどこを削り、どこを残したのかも学べます。おばあさんは、道徳の「よい人」サンプルに留まりません。物語の編集史、ジェンダー規範、家族観の変化を一度に映す鏡です。しかも鏡の縁がわりと可愛い。そこが桃太郎研究のずるいところでもあります。
とはいえ、現代の読者としては、昔話の祖母像をそのまま理想化する必要はありません。共感すべきなのは、無条件の自己犠牲ではなく、ケアが世界を動かしているという事実のほうです。桃太郎のおばあさんを今日読む意味は、「昔の女性はえらかった」で終わることではなく、見えにくいケアの労働がいかに物語を成立させるかを知ることにあります。桃太郎の刀ばかり眺めるより、団子の粉がどこから来たかを考えるほうが、案外いまの私たちには効きます。
反省的メモと限界
最後に、今回の調査の限界も明記しておきます。第一に、桃太郎の異文は非常に多く、全国的には六百種超の変異があるとされるため、本稿はその全体ではなく、江戸期文献化資料・近代教科書・代表的絵本・代表的舞台/映画を軸にした分析です。したがって、地方口承に残るより濃厚な祖母像、逆に祖母がほとんど機能しない異本も、まだ相当数あるはずです。
第二に、舞台と映画については、公開されている資料の多くが目録・作品解説・研究抄録で、脚本全文や映像全編に基づく精密な台詞分析まではできていません。とくに《ドンブラコ》や占領期の舞台・絵本類は、存在確認や構成の把握はできても、おばあさんの一言一句を追うには追加のアーカイブ調査が必要です。本稿がそこを「代表例からの傾向分析」に留めたのは、そのためです。逆に言えば、ここはまだ掘れる鉱脈です。桃の種にしては、ずいぶん研究余地が大きい。
第三に、福音館版の「五戸地方伝承をもとにした」という情報のように、代表的絵本の成立事情には、公式紹介と二次的紹介で濃淡があります。本稿ではできるだけ公式ページと学術論文を優先しましたが、絵本個別の創作意図については、今後は編集者インタビューや著者回想までたどると、さらに精密な議論が可能になるでしょう。
それでも、ここまでの比較から言えることは堅いです。桃太郎のおばあさんは、養育者として、いつの時代も「いないことにされがちなのに、いなければ話が始まらない」存在でした。そういう人をちゃんと読むこと自体が、昔話研究の中の小さな鬼退治だと私は思います。鬼はいつも鬼ヶ島にいるとは限りません。ときどき、物語の見方のクセの中にも住んでいます。
優先して参照した資料
以下は、今回とくに優先して用いた資料です。原話・近代受容・研究史の三本柱がわかるものから選びました。いずれも本文中で参照済みです。

コメント