川面を撫でる風は、どこかためらいがちに吹いていた。冬の名残を胸に抱えたまま、春の気配に戸惑うようなその息吹は、水のさざめきにも淡い翳りを落とす。岸辺に立てば、足元の土はまだ冷たく、けれど遠くの草むらには、確かに芽吹きの光が溶け始めている。静かで、控えめな春の輪郭がそこにあった。
流れゆく水は、自らの存在をひた隠すように音を抑え、誰にも気づかれぬまま、やわらかな光を運んでいく。その響きは耳を澄まさなければ届かぬほど儚く、音の輪郭がほどけていくたびに、見えないものたちの気配がふと立ち上がる。水の向こうには、目に見えぬ季節の継ぎ目が息を潜めている。
春は決して声高に訪れはしない。押し寄せるのでもなく、告げるのでもなく、ただ水音にまぎれ、風に散り、空の色に溶けていく。耳を寄せれば、そこにあるのは、何かを恐れるような、しかし逃げることを潔しとしない、そんな沈黙の意志であった。
遠慮がちに響く川の声に、ふと胸を突かれる。誰もが名を呼ばれずに立ち尽くす季節、その入り口で、水の音は、私たちの記憶と未来のあわいに、ひそやかな言葉を落としてゆく。
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