二月の光はまだ硬く、財布の中身も指先も、どこか冬の名残を引きずっている。けれど、使ってもいいと決めた金がある。その金を使うときの心持ちには、不思議な解放感と、ほんの少しの後ろめたさが同居している。
店先に並ぶものは、春を迎える準備に満ちている。新しい靴や鞄、春色の服。二月の買い物は、未来を少しだけ先取りする行為だ。使っていい金を使うという、その潔さが、季節の背中を軽く押すような気がする。
買うものは大したものではなくてもいい。小さな菓子や新しいノート、それだけでも、冬を抜けるための小さな儀式になる。使って良い金で、使って良いものを買う。その行為に潜む確かな意思が、春を呼び寄せる。
二月はいつも、曖昧で揺らいでいる。だからこそ、使って良い金を迷いなく使うことが、季節と自分を繋ぎとめる。レジの小さな音に、春の扉がほんの少し開く。買い物袋を提げた手のひらに、二月の終わりの光がそっと触れる。
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