最近アマゾンプライムでトリックを見ている。
シリーズ全部と映画が観れるようになったのだ。
トリックっていうとあれです、仲間由紀恵と阿部寛のやつ。
子供の頃に少し見ていて、あの頃はコメディドラマだと思ってたけどそうでもないんですね。
というのもコメディタッチで描かれてはいるんですが、内容的には少しブラックな感じ。
話の構成は悪い霊能力者がいて、その霊能力者のトリックを仲間由紀恵と阿部寛が暴いていく感じ。
普通の話だったら、霊能力者のトリックを暴いてめでたしめでたしって感じになると思うんですが、実際にはその霊能力者に救われていた人もいるわけで。
霊能力を暴いてしまったことで救われていた人が救われなくなってしまったというような少し後味の悪さを描いたりもしてます。
まだ全部の話を見てはいないんですが、なぜか最初と最後の話だけ先に見てしまいまして。
最初というのはドラマのシーズン1の第1話で最後というのは映画のラストステージのヤツ。
それで、映画のラストなんですけどめっちゃ感動したんです。
なんでかっていうとラストのシーンがドラマの最初のシーンと繋がってるんですね。
トリックの最初のシーンっていうのは阿部寛が自分が見破れない超能力を見せたくれた人には賞金をやるっていうシーンで、仲間由紀恵がマジックを見せて賞金をもらうっていうシーンなんです。
なんでそのシーンで感動するのかってことなんですが、ラストにもそれと同じシーンがあるんですがそれがすごく良いんです。
それは、トリックではいろんな奇術師の話を紹介してて、奇術師のトリックを見破る人がいたっていう紹介があるんですね。
その霊能力者のトリックを見破り続けた人が死ぬ前に奥さんに言うセリフが『本当に霊界というのがあるなら一年後に連絡する』っていう言葉なんですね。
それで奥さんは旦那が死んだ一年後に超能力者、霊能力者を集めて旦那の声が聞けるかというのを試したんですが、結局旦那の声は聞けなかったんです。
それで、その旦那が霊能力者のトリックを見破り続けた理由が本当の霊能力を見たかったんじゃないかって思ったんです。(もしくはそんな描写があったかも)
つまりそれは好きだからこそ偽物が許せないという歪んだ愛のような感じがしたんですね。
仲間由紀恵と阿部寛もシリーズを通して霊能力者のトリックを見破り続けたんですが、トリックを見破られた能力者は自分がペテン師だなんて思ってない人が多く、自分はペテンだとしても本物の能力者というのは必ずいると考えている人ばかりでした。
仲間由紀恵も作中では奇術師という職業ながら、霊能力を持っているような描写があったり、彼女自身もやはり心のどこかで不思議な力というものを信じている感じでした。
ラストのシーンでは仲間由紀恵は死んで?しまうのですが、死ぬ前に阿部寛に『死後の世界から連絡する』(うろ覚えなんで違うかも…)みたいなことを言うんです。
それがあって阿部寛が仲間由紀恵の死後1年後に霊能力者を集めるんですがそこでまた仲間由紀恵が登場してドラマの第1話で見せたマジックを披露します。
このとき仲間由紀恵は出てきたのですが、ここでは死んだ仲間由紀恵、つまり作中の山田奈緒子かどうかは確認できませんでした。
阿部寛は『本物か?』と聞いて、仲間由紀恵も肯定していたのですが、この『本物か?』と言う言葉には『本物の(一年前に死んだ仲間由紀恵)か?』というのと、『本物(の霊能力者)か?』というふた通りに捉えることができます。
阿部寛も敢えてそこには触れてずに物語は終わりました。
結局ハッピーエンドではないのかな?という感じでしたが、それこそトリックらしいということなのかもしれません。
やはりトリックの見せ場というのは実際の推理部分ではなく、それに付随する人間模様という感じでした。
映画のラストでは仲間由紀恵が死んだ後も阿部寛や他のキャラクターは生きているし変わらず生活をしていました。
しかし、ラストシーンの仲間由紀恵が登場した時に阿部寛が泣くシーンを見て、阿部寛にとっても仲間由紀恵が死んだのは大きな影響だったのだなと感じました。
トリックでは人の生き死にを扱う能力がとても多いです。
それはやはり、死というものが絶対に覆らないものにかかわらず、人が生きているということがとても不思議なものなのかなと思います。
ゲームのパワプロクンポケット5の裏サクセスに出てくる女看守のヘルガのアルバムシーンにそんなことを言っててそれを思い出しました。
ついでに言うと、本物の霊能力を見たくて偽能力者のトリックを暴いているという部分で神条紫杏を思い出しました。
あと、定番の感想かもしれませんがエンデング曲の鬼束ちひろの『月光』がいいですね。
あの曲のお陰でグレーエンドをしみじみと感じることができます。
こんな話を妻にしたら、あまり聞いてくれなかったのでここに書き記す。
以上。
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