雪達磨教育委員会監修

散文
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広場の隅に、一体の雪だるまがぽつんと立っていた。形はどこか整いすぎていて、目や口も正確に配置され、頭には小さなバケツが乗せられている。周囲の子どもたちはすでに遊び疲れたのか、あるいは飽きてしまったのか、雪だるまのそばには誰の姿もなかった。ただ、きれいに作られたその姿だけが、冬の午後の光を受けて静かに佇んでいる。

その足元に、小さな立札があった。「教育委員会監修 雪だるま作り推奨モデル」。おそらく、地域の冬の行事の一環なのだろう。形の美しさ、バランスの良さ、安全性を考慮した設計。それらを意識して作られたであろう雪だるまは、確かに端正で、崩れにくく、模範的なものだった。しかし、そこにはどこか、子どもたちが無邪気に作った雪だるまの不格好な愛嬌はなかった。

雪だるまとは、もっと自由でいいのではないか。少し歪んでいたって、片方の目が落ちかけていたって、それが作った人の個性や、遊んだ時間の楽しさを映すものではなかったか。誰のためでもなく、ただ雪を丸めて作り上げる行為そのものが、冬の記憶になるのではなかったか。

夕暮れが近づくにつれ、雪だるまの影が長く伸びる。教育委員会監修のそれは、確かに完璧だった。だが、その完璧さのなかにある静けさが、かえって冬の冷たさを際立たせているように思えた。

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