時は静かに年の瀬を迎え、人々の歩みにもどこか慎ましさが宿る頃。公園の片隅にある滑り台は、冬の冷たい空気に包まれ、無邪気な喧騒が消えたまま、ただじっと時を見つめている。その表面には、剥がれた塗料が露わに現れ、鮮やかな色彩がかつての活気を思わせるが、今は風化の跡を静かに刻むばかりだ。
指でなぞれば、少しざらついた感触が伝わり、季節ごとに重ねられた記憶の層が手に蘇る。その錆びた境目には、幼い笑顔や小さな冒険が、薄れゆく夕陽のように微かに残っている。時を追うごとに訪れる者が減り、ただ風がその冷たさを伝えるだけの場所となっても、この滑り台は語らない。剥がれ落ちた塗料が、かつての温もりを覆い隠そうとしているのか、それとも解放しているのか、その答えは誰にも分からない。
ひととき、目を閉じて耳を澄ますと、過ぎ去った季節のざわめきが微かに聞こえる気がする。遠い笑い声、駆け寄る小さな足音、そしてひんやりとした鉄に触れる手の感触。それらは今も滑り台の影に息づいている。時を越えて、ただそこにあり続けるこの場は、もはや誰かの記憶のための器なのかもしれない。
新しい年が来れば、また別の子どもたちがその上を駆けるだろうか。それとも、この滑り台は時の流れの中で静かに消えゆくのだろうか。剥げ落ちた塗料の奥には、永遠の一瞬が封じ込められているように感じられる。その瞬間は、あまりに儚く、けれど確かに温かい。年の瀬の澄んだ空の下で、滑り台はただ静かに、それを抱えながら佇む。
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