雛祭りの席では、誰もがそれぞれの役割を持っている。華やかな雛壇を前に、子どもたちの笑顔が咲き、祝いの言葉が交わされる。その輪のなかで、ふと気づけば、自分はただ相槌を打つばかりだった。語る者がいて、聞く者がいて、その間に柔らかな言葉を添える者がいる。
「そうですね」「それは素敵ですね」——そんな短い言葉が、会話の隙間に静かに落ちる。それは主役にはならないが、場をなめらかにする大切な役割だった。誰かの話にそっと頷きながら、視線を落とすと、雛壇の小さな人形たちもまた、黙って穏やかに座している。それぞれの役割を担い、ただそこにいる。その姿に、どこか通じるものを感じた。
祝いの席には、賑わいだけでなく、ふとした静けさもある。誰かの語る思い出、ちらし寿司に込められた意味、流れるように続く会話のなかで、相槌は目立たないまま、しかし確かにその場を支えている。まるで春の風が、花の香りを運ぶように。
祭りのあと、雛人形を片付ける手のひらに、ほんのりと温もりが残る。それは誰かと交わした言葉の余韻だったのかもしれない。主役ではなくとも、そこに在ることの意味を、ひそやかに感じながら、春の終わりを見送る。
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