春の光が水面にほどけ、池の鯉がゆっくりと泳いでいる。冬のあいだ沈んでいた体を、ようやく水の表に浮かび上がらせる。水温む頃の鯉は、驚くほど静かだ。泳ぐというより、ただ水とともに流れているように見える。
池の端へ向かうかと思えば、ふわりと身を返し、どこへ行くとも知れぬまま、ゆるやかな円を描く。迷いでもなく、目的でもなく、ただそこにある水に身を預ける。決して端にぶつかることはない。見えない力に導かれるように、ぎりぎりのところで身を翻す。
水温むという言葉は、単なる温度の変化だけを示しているのではない。硬さを失い、輪郭がほどけること。境界が曖昧になること。端と中央の違いすら消えていく、その柔らかな時間を指しているのだろう。鯉は、その時間にふさわしい泳ぎを知っている。
池の端にぶつからぬ鯉の動きに、春の息づかいが見える。迷わぬことの自由さと、どこにも行かないことの豊かさを、静かに教えられる。水は温み、鯉は泳ぐ。何も足さず、何も削らず、ただそれだけの春が、目の前に広がっていた。
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